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メディア掲載

2005.03.04
日刊工業新聞

わが友、わが母校 /東海大学-新井総合施設社長・新井隆太氏

私がボディービルを始めたのは、高校1年の時に通っていたボクシングジムで靭帯(じんたい)を切ったことがきっかけ。
たまたまリハビリ先として紹介された中野ヘルスクラブが日本でトップクラスのボディービルジムだった。リハビリの傍ら、ジムの方から誘いを受け「ちょっとやってみようか」という軽い気持ちで始めた。

そのジムでの鶴田和一氏との出会いは、私にとって大きな転機となった。彼は東大卒で有名予備校のいわゆるカリスマ講師だったが、ボディービルダーを目指すため、その職を放り出した変わり種。何故か当時高校生の私と気が合い、パートナーを務めることになる。

とにかく昼夜を問わず2人で練習に明け暮れた。強靱(きょうじん)な肉体をつくるための技術的な手法について朝まで語り合ったこともある。1年を通じて休むことなく練習を重ねた結果、二人のハードなメニューはそのジムでも有名となり、だれも代わりを務めることが出来ないかけがえのないパートナーとなっていた。青年から大人へと成長する多感な時期に、自分を見つめる厳しい姿勢や生き方について、文字通り身をもって教えていただいたと思う。

以来、大学時代(東海大学文学部)はボディービルに明け暮れる毎日が続く。大学の同級生が合コンやテニスに明け暮れている姿を横目にボディービルに打ち込んだ。ひたすらストイックな自己鍛錬にエネルギーを集中させることは、自ら事業を起こし、孤独な社長業に身を投じる今の自分の姿に自然とつながっているものと感じている。ジムでの苦しい練習から逃れたいと思う微かな弱い気持ちが減量に失敗し、パートナーにその弱い心を読まれ、大会の審査では厳しい結果を突きつけられた。自分に対する気持ちの弱さが災いし、周囲の人々に恥をさらすという苦い経験は会社を経営してゆく上でかけがいのない宝でもある。

鶴田氏との出会いがなければ今の私はなかったであろうし、違った人生を歩んでいたのかもしれない。




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